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広島そごうの職人展搬入を終え、昨年通った居酒屋一利喜へ。
一人カウンターにて、以前から読み進めていた、青木新門の納棺夫日記を読破。
急がず、大切に読んだ。
人間の死と向き合わずにはおれない現場の中で光を見たと言う著者の言葉は重かった・・・・
十代の頃、私は父親の臨終をみとり、死にたくないといいつつ逝った父親を想い、人生の意味を考え続けてきた。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であった。
著者がこの本を書き終えた時、ふと浮かんだ正岡子規の言葉である。
私は結構な数の骨壺を作った。    
母も私の骨壺に眠っている。
人は、人に限らず、命あるものは必ずいつかは死ぬ。
だからこそ、生きているこの日々、この日常がいとうしい。
胃ガンで逝った友人がコップ一杯の水をごくごくと飲んでみたい!
といいながら、笑った時、不覚にも私は泣けた。
そんな小さな喜びの積み重ねこそが、幸福な人生なのだと・・・・
広島から帰ったら・・・
絶対・・
球磨川に出撃するぞ。
留守を守ってくれている嫁にも。
温泉に連れてってあげるからな!
そんなささやかな幸福の積み重ねこそが!
大切なんだな・・・・

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